・1947年 藤沢市片瀬海岸に生まれ、地元の湘南学園に通う。
プロ野球の選手を夢見て鎌倉学園に入学。野球部入部一週間で美術部に変わる。
数奇屋建築に興味を持ち18歳でお茶の表千家に入門。
彫刻家の高田博厚(1900〜1987.肖像彫刻家)に出会いアトリエに通い始める。
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・1970年日本大学理工学部建築学科卒業。栄建築研究所入所。
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・1974年独立、母屋に事務所を構える。
尊敬する哲学建築家の白井晟一の門を何度も叩くが門前払い。
仕方なく高田博厚に紹介状を書いてもらい会うことが出来たが、
今の書生が辞めたらいらっしゃいと言われ、
志を貫こうとテニスのコーチをして生計を立てる。
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・1977年原宿に東京事務所を開設。
この間高田博厚のアトリエに通いながら二足のわらじを履いて頑張る。
高田博厚にお供をして、人間国宝の唐津焼の中里太郎衛門、
上野(あがの)焼きの高鶴 元と知遇を得る。
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・1995年に設計した商業ビルが「藤沢市都市景観賞」を受賞。
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高田博厚の”本物になれ”の一言が自分にとっての人生の道となっている。
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